遠位型ミオパチー(筋肉の難病)


私の生家


緑に包まれた山あいの静かな村。右手に杉・裏山が竹やぶ、左が隣家。
100坪の屋敷には、梅・朴・椿・桐・杉などが立ち並んでいた。
家の前は一面畑で野菜が豊富だった。
昔ながらの茅葺屋根の木造家。土間、居間、納戸、座敷、仏間、その他、25坪ほどの
家だったと記憶している。一日中、鳥の鳴き声を聴き、花や蝶が舞う光景が今では何と
懐かしいことか・・・。
そんなのどかな田舎に産声を上げたてからもう半世紀がすぎた。
いわゆる団塊真っ只中の私である。
もの心がついた頃、私の周りには多くの人達がいた。父母と二人の姉、兄、そして近所の
家の人たちだ。本家の人、母の実家の人は言うに及ばず、隣近所の人同士の交流は垣根
がなかった。
「こんな魚焼いたけど、食べる?」
「スイカがとれたで持ってきたよ」
「今日の煮物は上手かったで、食べて・・・」
こうした風景をいつも目にしていて、それが当たり前だと思っていた。
田植えや稲刈り、結婚式、葬式に至るまで部落中の人が互いに助け合っていた。
悪いことをすれば、隣近所のおじさん、おばさんがキツク叱ってくれたもんだ。だけど、
ふだんは皆やさしく笑顔で接してくれたから良い人達ばかりだった。
高校生活を終えて故郷を離れ、もう40年!!
なつかしい故郷の山の緑も清らかな川のせせらぎも、「ダルマさん転んだ」で使った広場の
電信柱も私の脳裏には、今も色あせることなく 「あの頃」 を映し出してくれる。

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