遠位型ミオパチー(筋肉の難病)


母の記憶


わたしがオギャーと生まれて母のそばで育ったわけだが、実は母にも不運な人生があった。
わたしを生んでから体調を崩した。しかも原因不明の・・・。あちこち病院を回ったらしいが結局、
某大学病院へ入院した。
わたしの小さい頃の 「鮮明な映像」 の一つに 「ベッドの上の母」 がある。
そこは白い壁の病室だった。白いベッドの上に母が腰掛けていた。母はわたしの顔をじっと見た。
残念ながらこの時の会話の内容は一切覚えていない。父と一緒に電車で2時間くらいかけて
母の見舞いに行ったときのことである。
ベッドの上のワンシーンなので、それ以外は覚えていないが、この時の母の顔は笑顔でなかった
事は確かである。
今にして思えば、原因不明の病に打ちひしがれていたのだろう。しかもわたしを生んですぐ、
わが子と離れ離れで入院したのだから・・・・。
その後、母は退院したが手の指(握力)が弱く日常生活に支障をきたすようになった。
特に母親という立場で手が不自由ということは致命的である。今のように洗濯機・炊飯器・掃除機
がある訳じゃない。全て手作業なのだ。おしめを替えるにも、着替えにも、包丁で野菜を切るにも、
掃除・洗濯・田畑の仕事・・・と何から何までままならず、冷たい北風を歩むような人生を送ること
になった。
母の病名が 「筋無力症」 だったという事を知ったのは、
それからずっとあとになってからの事だった。
 miopachi :  HOME     

blank_space

blank_space
blank_space