難病のはじまり
小学校の3年生! この時から私の難病は始まったと自分なりに記憶している。
それまで、元気いっぱいのワンパク少年は、父に似て二重瞼の大きな目。
その頃 (小学一年生) の写真が今でも残っている。
「三橋美智也のような声をしていたよ」 と、母が話してくれた事もあったが、家の前の
大きな樹に登っては、歌をうたい近所でも評判だったらしい。
そんな美少年は、小学校三年になって身体の異変に気づくことになる。
ある日、自分の右まぶたが下がっている事に気づいた。
学芸会の写真が今でも残っているが、左目が二重で大きく、右目が細く小さな目。
きっと悩んでいたと思うが、私にはその記憶があまりないのである。
それ以上に学校が楽しかったんだろうと思う。
友達と遊ぶことが楽しくて仕方がなかったから、楽しい「思い出」 が心を占めているのだろう。
これがもし、十五〜十六の思春期に突然起きたとしたら、ことは相当深刻だったはず。
私の場合は幸いにして、先生も友達もみんな、以前の私を知っていたから、誰も違和感なく
同じように接してくれていたのである。
「丹下左膳」 (たんげさぜん・片目に刀傷のある時代劇のヒーロー) とか
「森の石松」 「片目」 などと言われたが、そういう友達はみな私の仲良しだったので
今でいう 「イジメ」 とは全く違う。そして、成績も上位だったのでバカにされる事もなかったし、
先生 (特に4年生と6年生) が大変すばらしかった。
叱られた事も多かったが、私の事を心から心配してくれたので反発心も起きないし、また
一所懸命ガンバロウという気持ちにもしてくれた。
そして、4年生の時の担任のK先生は、私が社会人になってからも年賀状を頂戴した。
そのハガキには余白がないほど、直筆で近況や、励ましの言葉で埋め尽くされていて胸が
熱くなった。ある年から、そのハガキが届かなくなった。ご子息からの連絡で亡くなられた
ことを知り、大変寂しい想いをしたのが、つい昨日のように思い出される。
一方、6年生の時の担任・M先生は今でも元気。
年賀ハガキには「無農薬野菜」に取り組んでいる様子を絵にして届けて下さる。
6年間の小学校時代は私にとって、本当にかけがえのない時代だったと思う。
この年になってもいまだに、あの頃の風景が流れてくる。友人たちも、あの頃の顔立ちの
ままで・・・。
そんなすばらしい小学校だったが、中学校へ行くと、環境はガラリと変わってしまう。
あちこちの小学校から集まって来る生徒は、みな初対面であり、私の顔は片方の目が
小さいという、それだけの理由で 「異質な人間」 に見られていった。
今で言う 「イジメ」 が始まったのである。